日刊H.T Season 2
のんびり、まったり、更新
ビッグバン・ベイダー誕生のきっかけ

 新しいスマホ購入を凄く迷った結果モトローラ―のMotoG4plusを買いました。5機種くらいで相当悩んだんですが、やっぱこれがいいという結論に。注文したのが先週なんですけど届かないんですよ(笑)。価格コムのランキングが1位になってたので(価格.com)・・・これは品薄・・・もう待つしかないですねえ(悲)。 
 先日ベイダ―vsオスプレイの記事(関連記事)をアップしました。まだまだ元気なベイダーに驚きましたものです。タイミングよく先週の週プロでベイダー特集をやってて過去のインタビュー等が掲載されてました。ベイダ―誕生っていうと「TPG」(関連記事)の印象が強いかもですが、もっと基礎的なところからベイダー誕生の流れを本人の口から語られてます。続きからです。








■マサ斉藤に誘われた
ベイダー「俺に日本遠征のビジネスを持ち掛けたのはマサ斉藤だ。昨年の秋、コロラド州ボルダーの自宅に俺を訪ねてきたマサは、まず俺がどういう人間であるかを理解しようとした。・・・(略)まず基本的には新日本のリングに上がる意思があるかのアプローチだな。86年12月に刑期を終えてリングに復帰したマサは、AWAでの俺のファイトぶりを見て、すぐに日本向きだと感じ取ったそうなんだ。それまで俺は日本向きとそうでない選手のふた通りあるなんて知らなかったよ(笑)」

■マサ斉藤は偉大なるプロデューサーだ
ベイダー「俺はビッグショーで当時、AWA世界王者だったハンセンのチャレンジャーに指名されたのさ。たしか日本のマガジンやカメラマンも取材にきていたはずだが、俺の写真はあまり撮ろうとしていなかったな。俺がここまでビッグネームになるとは予想もしていなかったんだろう。レスラーを見る目がなかったんだな(笑)」
-「しかし、マサ斉藤はあなたの潜在能力を買っていたんですね」
ベイダー「そういうことになる。だから新日本とのビジネスにおけるマネジメントはすべてマサに委託することにした。ファイトスタイル、リングネーム、そしてコスチュームに至るまでマサの指示通りに動いた。・・・(略)しかし、マサは偉大なるプロデューサーだ。俺は彼の洗礼を受け、ベイダーに生まれ変わった」 (88年4月のインタビュー)
  ※「週刊プロレス 2016年 10/05号 No.1870」より







 おそらく80年代半ばだと思うんですがAWAでハンセンvsベイダー(当時はベイダ―ではないが)が組まれていたら、記者らの目当ては当然ハンセンですよね。そこはしょうがないとしても、マサ斉藤の人材発掘はさすがとしかいいようがないですね。ベイダーの他にもスコット・ノートンとかもマサさんが日本に連れてきた選手ですね。12月にマサさんリング復帰しますが(関連記事)、ベイダーにぜひ参戦してほしいですね!
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テーマ:プロレス - ジャンル:スポーツ

コメント

YouTubeにも今でも有りますが、ベイダーvsブロディと言う試合を観たことあって、ベイダーは成る前の「レオン・ホワイト」として闘ってましたが、実力差は明白で弱点の膝を攻められて、完敗でした。
[2016/11/02 17:27] URL | スライディングD #- [ 編集 ]


スライディングDさん。こんばんは!レオン・ホワイトvsブロディですか。負けはしたものの性格が直線的なブロディ相手に試合を作ろうとしてた様子が。もしかしたら日本向きとマサさんに映ってたりして、とか妄想を膨らましてしまいました。ほんとマサさんの発掘能力恐るべしですね。
[2016/11/02 23:09] URL | H.T #- [ 編集 ]


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