日刊H.T Season 2
のんびり、まったり、更新
伝説のプロレス地下道場   【上がるリングのない練習生たち】

 スマホを買おうと色々考えてます。今持ってるのは小さくて気に入ってるんですけど、ストレージが少なくて・・・家用にもう1個買おうかなと。候補はZenfone2、Nexus5、Nexus5X、Xiaomi Mi5あたりですね・・・この何を買おうか考えている時間が一番楽しかったりしますね(笑)。
 前に「伝説のプロレス地下道場」という記事をアップしたんですが、今日はその続き記事でいきます。プロレスショップ店主(ウォーリー山口)のマスターベーションにより生まれたプロレスリング購入。そこから様々なドラマが生まれます。続きからです。









■たけしプロレス軍団(TPG)の誕生
【ビートたけしが当時懇意になりつつあった東京スポーツの紙上(1987年9月8日付け)で「プロレス団体設立」をぶち上げたのが発端。設立の動機を「オイラがプロレスファンという事もあるけど、最近のプロレスに感じられなくなった力道山時代の熱気を、ぜひ取り戻したいと思った」と語り、手駒の選手をスカウトしたり育てたうえで、「手始めにアントニオ猪木に挑戦したい。何といっても日本でナンバー1のプロレスラーだから」と、その目標を明らかにした。】 ※「WKIPEDHIA」より

■オーディションで選手らを獲得するも活動停止
→TPGのオーディションに合格したのが脇田洋人(スペル・デルフィン)、秋吉昭二(邪道)、高山圭司(外道)を含めた10人ほどとのこと。しかし、TPGは87年12月の新日本両国大会での暴動騒動を境に活動停止。せっかくオーディションに合格しプロへの道が定まったかに見えた選手らの先の見えない毎日が始まります。その時期を支えたのが地下プロレスリングになります。

‐「インディ団体誕生の足掛かりの一つになったのがTPGですよね」
ウォーリー山口「まさしくそうだよ。あんな罪なことを新日本はやるんだよな。つまりケツを拭かないわけ。募集かけて、銀座スタジオでスクワット何百回やらせたっていうのがあるじゃん?俺はアレ行ってたんだよ」
‐「87年11月に『ビートたけしのオールナイトニッポン』の番組内で行われたTPGの公開オーディションですね」
ウォーリー山口「既に地下リングがあって、俺はTPGも運動体のひとつとして観に行ったわけ。その時点から『こいつら行く先がなくなったら、俺が面倒見てもいいな』と思ってたの。愛の手を差し伸べられるのは俺しかいないなと。そうしたら案の定、そうなったんだ。まあ、俺は誰でもウェルカムだからさ」  ※【Gスピリッツ Vol.13」より







 デルフィンに外道に邪道がいたんですね。Gスピリッツを読むと「日本プロレス史上初の『基礎や受け身はできるのに上がるリングのない練習生』」が生まれた、とあります。普通に考えたら、ここでプロレスラーへの道は閉ざされると思ってしまいますが、皆の熱い感情が神様に届いているのか、いつどんな展開がこようとも準備できる環境がありました。それが地下プロレスリングです。では続きはまたいつか。
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テーマ:プロレス - ジャンル:スポーツ

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