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ビル・ロビンソンが死去
人間風車ビル・ロビンソン自伝―高円寺のレスリング・マスター (BLOODY FIGHTING BOOKS)
 ビル・ロビンソンが亡くなったようですね(東スポweb)。自分はロビンソンをリアルタイムで体験してないですが、このブログを始めて、色んなことに興味が沸き、その中の一つがイギリスのウィガン地方の歴史っていうんですかね、カール・ゴッチ(関連記事)、ビリー・ジョイス(関連記事)、ジョシュ・バーネット(関連記事)、そしてビル・ロビンソン。コメントの一つ一つが刺激的でした。これまでの関連記事をリンクしときます。


ビル・ロビンソンが有名レスラーを語る。

ビル・ロビンソン「ジャンボ鶴田はただのストロングボーイ」

ダブルアームスープレックス誕生秘話

藤波は息子をスネークピットジャパンに預けたいようだ

ビル・ロビンソンが語る高田延彦vsヒクソン・グレイシー



 75歳ですか。はやいなあ・・・。まだまだロビンソンには、これから色々な出来事、新たな選手が出てくるあろうプロレス、格闘技界に対してコメントしてほしかったですね。一刀両断じゃないですけど、周囲が評価しているものに対してもズバッと自分の意見をしてくれるロビンソンが好きでした。天国で最強と評価するビリー・ジョイスと再会しているんでしょうかねえ。ご冥福をお祈りいたします。
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テーマ:プロレス - ジャンル:スポーツ

コメント

びっくりしました。歳だからと言うのは解っていても驚いてます。

僕もロビンソンはリアルタイムで無かったし、試合は動画で見ました。
タモリ倶楽部に出演した時は宮城はネットしてなかったので。

それで思い出したのが10年ぐらい前か「笑う犬の冒険」で「生きる(テリーとドリー)」で
特番の企画かテリー(ホリケン)とドリー(原田)が色んな対決すると言う企画で、製氷室での我慢比べ、園児が二人か保母さんとどちらに来るかなどの対決で最後がロビンソンとの対決。
ロビンソンは歳とって体型は変わったとは言え、二人を寄せ付けませんでした。

ご冥福をお祈りします。
[2014/03/05 16:11] URL | スライデングD #- [ 編集 ]


先日、レガさんのところで猪木戦を特集(?)しておりましたが、ロビンソンには見てもらいたかったですね・・・

私もオンタイムを知る由もなく、ダブルアームスープレックスを初めて動画で見た時もそんなに驚きはなかったですが、試合を見て、
「ロビンソン、すげえ!」
となりました。

昔のレスラーが
「今のプロレスは・・・」
とはよく聞きますが、この人が言うならしょうがないかな?って。
アルティメット・ウォリアーが言ってるのを見た時は
「頼むからお前だけは言うな(笑)」
と思いましたが。
[2014/03/05 21:14] URL | ジョーカー ナリ #- [ 編集 ]

国際プロレスの救世主
 最近、30年以上も前に消滅した国際プロレスの足跡の大きさを改めて感じるようになってきました。日プロの幹部だった吉原功氏が、渋谷のリキスポーツパレスの売却を巡って他の幹部と衝突し、退団したとされてます(勿論他の理由もあったとは思いますが)。
 吉原氏は当時は珍しかった学士レスラーでした。早稲田のレスリング出身で、力道山始め、殆どが相撲と柔道出身の選手の中で、レスリングが出来るのは吉原氏だけだったそうです。ただ、如何せん小柄だし地味な存在で、今思うとプロレスという人気商売には向いてなかったのではないでしょうか。星野勘太郎を可愛がっていたそうで、星野さんの本の中でも基礎は吉原さんから教えて貰ったと書いてました。
 結局リキスポーツパレスは、あの山田泰吉率いる近畿観光開発が買い取ることになってキャバレーエムパイアになったけど、事業は成功しなかったそうです。それにしても、常打ち会場を今のプロレス団体が都心に作るなど絶対に考えられないですね。最大3000人収容といえば後楽園ホールよりでかいわけだし、今更ながら力道山のビジネスセンスの高さには敬服します。因みにリキスポーツパレスは今の渋谷のヒューマックスビルに様変わりし、一時期、サイバーエージェントが入居してました。

 吉原氏はその後、国際プロレスを独立するわけですが、大変だったのではないでしょうか。当時のプロレス日プロの独占で、任侠団体が脇を固めていたし、新団体など作ろうものなら日プロからの圧力で捻り潰されることは明白だったし・・・。しかし、兎にも角にも新団体を旗揚げしたのだから吉原氏は腹の据わった経営者であり男だったんでしょうね。

 ただ、巡り合わせが悪いというか、運が悪いというか・・・。TBSとのゴタゴタなんかもあり、裏では大変だったと聞きます。業界では有名な話で、とにかくTBSはキャスチングボートを握りたかったのでしょう。やっとグレート草津っていう体が大きな、スター性のある元ラガーマンの新人を発掘し、TBSの力を持ってすれば一夜で新しいスターを作ってみせると豪語しましたが、相手がミスタープロレス『ルー・テーズ』で、TBSの運動担当者が、テーズに負けてくれとブック要求したのですが、その言い方が居丈高だったため、気分を害したテーズは立腹。ですがテーズもそこはプロですからグリーンボーイだった草津を潰すことは出来ず、一本目を取るために軽く放ったバックドロップですが、受身を取り損なった草津は失神し、二本目以降の試合を放棄する破目になって、シンデレラボーイの夢は藻屑と消え去った・・・そう語られてますが、私があらゆる文献に目を通したところ、真実は少し違っているようでもあり、草津のセコンドに就いていたのがブッカーだったグレート東郷で、東郷はテーズと組んでTBSプロレス(国際プロレス)を支配したくて、テーズと共に仕組んだ草津潰しだったという説や、或いはブッキング料金の高さにTBSが悲鳴を上げ、東郷と険悪な関係になり、怒った東郷がテーズにシュートを仕掛け、危険な角度でバックドロップを放った・・・など諸説色々ありますが真相は未だに藪の中ということです。

 さて、草津が潰されたことで、TBSは面目を失い、経営権が吉原氏の元に返り、TBSプロレスから国際プロレスとして動き出したけど、テーズに失神KOされたエースの試合を観に来る客は少なく、当時に、東郷の出した高いブッキング料に財政破綻寸前になり、やっと東郷と手を切ったが、そうなるとアメリカから一流の選手を呼ぶ手段を絶たれてしまい、眼を向けたのがヨーロッパです。当時はパリでもプロレスが行われてましたが、純然たる見世物であり、日本の客が喜ぶような代物はいなく、その眼は、フランスからドイツやブリテンに向けられ、発掘したのがビル・ロビンソンでした。かなり古い雑誌に掲載されてましたが、日本プロレスにはいない外国人レスラー、要するにアメリカンプロレスじゃなく、ヨーロピアンプロレスに活路を見出そう。そう決意したのと同時に、当時は考えもしなかった、エースを外国人レスラーに委ねる。この発想はやっぱり凄いですね。勿論、国際プロレスにも日本人選手は沢山いましたが、草津、ラッシャー木村、ストロング小林、サンダー杉山、寺西勇、アニマル浜口、マイティー井上・・・みんな若く未熟で、馬場&猪木に対抗できる力量も経験も乏しい。何より技術が伴っていない。しかし、ビリー(ロビンソン)なら、日プロ外人だけじゃなく、馬場や猪木でさえも出来ないようなレスリングが出来る。それにスター性もある。しかし、日本人が外国人エースを果たして応援するのだろうか? そういった不安はありましたが、案ずるより生むがやすし・・・ビリーの繰り出す技は全て新鮮で、あっという間にファン獲得に繋がり、崩壊寸前だった国際プロレスに客を呼び戻す結果に繋がった。
 それに、ビリーは教えることも好きだったようで、国際の若手レスラーたちに基礎を教え込んだそうです。これなんかも社長の吉原氏がレスリング出身だったのが大きいのでしょうね。
 エルボースマッシュ、ダブルアーム、フロントスープレックス、ワンハンドバックブリーカー、レッグロールクラッチ・・・その殆どが国際プロレスのリングに立つ、ロビンソンが日本でj初公開した技だったのではないでしょうか。
 その後、サンボを取り入れたのも国際が最初だし、ラッシャーなんかも当時はサンボ技を稽古では使ってたのに、リングでは客受けしないという理由で使わず、チョップやブレーンバスターやパイルドライバーといったアメリカンな技ばかりでした。
 時代があと、少しずれてたら国際は日の目をみたのではと少し悔しく思います。

 長くなってごめんなさい(^^;)。
[2014/03/07 19:53] URL | トヨノボリ #HfMzn2gY [ 編集 ]


スライデングDさん。こんばんは!ゴッチもそうですが、勝手に死とは無縁と判断してる自分がいたのかなと思います。亡くなったことは現実になると衝撃です。

ネプチューンと絡んでたとは!それ見たかったなあ。グラウンドテクニックはおそらく神がかり的なものがあるんでしょうね。仕事はいえネプチューン羨ましいなあ。
[2014/03/08 05:29] URL | H.T #- [ 編集 ]


ジョーカー ナリさん。こんにちは!そうですね。あの記事はレガさんのプロレスリングへの愛情が伝わってくるようでした。

試合は今のように派手さはないですが、細かい動きのバリエーションが多彩で予想できないところが見ごたえありました。ダブルアームスープレックスはいいですね。あの個性的なフォームが好きです。IGFの鈴木秀樹とかフォームを再現してますね。

そうですね。ロビンソンだからこそ辛口でも説得力ありますよね。アルティメット・ウォリアーも言ってましたか(笑)。彼の場合は他者の評価はしないほうがいいですね(笑)
[2014/03/08 14:05] URL | H.T #- [ 編集 ]


トヨノボリさん。んばんは!国際プロレスの創業者吉原功。自分はリアルタイムで体験できていたのですが、学士レスラーというバックボーン、その吉原が導入したシステムは現在のプロレスに影響を与えているのではと思います。プロレスのルーツは相撲と認識しているつもりでしたが、レスリング出身者が珍しいという当時の状況を教えていただくと新鮮に感じます。現在はアマレスバックボーンが多いですよね。リキスポーツパレスは現在、ヒューマックスビルなんですね。関東にいくことがあれば行ってみたくなりました(笑)。

吉原という選手は地味で小柄でレスラーとしてはトップに立つ資質をもっていなかったかもですが、国際プロレスの独立エピソードを聞くと精神的にはかなり大きな人物なんだなと思えます。

独立当初はスターの育成、発掘が急務だったんですね。草津のバックボーンはラグビーとなると、おそらく投げは不慣れでしょうね。対戦するテーズも難しい面があったかもですね。そういえば、高阪剛がちょっと前に社会人ラグビーのコーチをしてました。ラグビーがMMAから学ぶ技術があるということで、斬新だなと思いました。それぐらい違う競技ということでしょうね。

そのような歴史がありロビンソンに繋がったんですね。今、振り返るとよくぞロビンソンにたどり着いてくれたと思いますが(笑)、当事者は必死だったでしょうね。ロビンソンの動きが今みても(今だからこそ?)新鮮です。説得力があります。教えるのは好きそうですね(笑)。現在のプロレスの動きに伝わってる部分もあると思うので、ロビンソンの教えは日本に根付いたといえると思います。

それほどまでの技が日本初公開となると、人間風車だけにスポットがあたり気味なのが疑問に思えてきたりしますね。サンボの件もそうですが国際プロレスの斬新な仕掛けは好感持てます。いえいえコメントありがとうございます。
[2014/03/10 01:48] URL | H.T #- [ 編集 ]


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