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猪木がアリ戦を振り返ってた 【後編】
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 この前アップした『猪木がアリ戦を振り返ってた 【前編】』の続きですね。猪木(関連記事)が自分の試合を解説しようという企画。中々、自分に厳しい猪木がいましたよ。試合から何十年経過した現在でも「凄い!」と地上波ゴールデンで語られるって素晴らしいですよね。アリ戦もですけど、不可能だと思われる事を実現する猪木のパワーっていうのには恐れ入ります(関連記事)。南極大会もやるんだろうな笑(関連記事)。ではでは続きからです。





■1R~4R 猪木「猪木がもうちょっと・・突っ込めばいいのになあ」

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岡村「猪木さん。どうですか?これ、実際に試合振り返ってみて?」
猪木「いやぁ~~。やっぱり、猪木がもうちょっと突っ込めばいいのになぁ」
会場&矢部「(笑)」
岡村「・・・最初、ゴングと同時にバーっとスライディングのほう行きましたですけども、もっと行って欲しかったと?」
猪木「そうですねえ」
岡村「でも、結構いいキックは入ってるんじゃないですか?・・」
猪木「(猪木は)ルールがどうのこうのって言い訳すんじゃねえよって!」
岡村「言い訳すんじゃねえよって。もっと行けよ!と。もっと猪木さんからしたら猪木に行って欲しかったと?」
猪木「(うなずく)」



■5R~9R 猪木「ホントは(シューズに)鉄板・・入ってない」
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岡村「・・ここで(アリ陣営の抗議で左足シューズ先に)テープ巻かされるんですよね(画像左)。軸足というか、蹴ってない方の足に。しかもこの人(カール・ゴッチ)もちょっとしか貼らないんですよ。・・グルグル巻きにすればいいのに。猪木さん、これどう思ってテープ?なんだ、なんだこりゃと?」
猪木「そうですね。あんまり意味がない」
岡村「ん!再度確認です。鉄板!(シューズ内に)鉄板入ってないですね?」
猪木「ホントは・・・」
岡村「え?」
猪木「入ってなかったです」
会場「(笑)」
岡村「あ~良かった。入ってない。入ってない」



■10R~15R 猪木「(アリのパンチは)ちょっと当たっただけで終わり」
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岡村「やっぱ(アリのパンチは)凄い速かったですか?」
猪木「2つくらい入ったんですね。パンチが。それで両方コブになってる」
岡村「はぁ~。スパーっとでてますけども」
猪木「ちょっと当たっただけで、それで終わりですよね」



■猪木「戦法・・・間違ってなかった」

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岡村「いやぁ~猪木さん。改めて試合を見ていかがでしたか?」
猪木「まあ、あの、戦法としては間違いなかったであろうなと」
岡村「アリの足も変色してましたけど、それでもやっぱ倒れないですね」
猪木「ただ~(アリが)凄いのは、やっぱりあの~ホテルに帰るまでは、足を引きずりながらも、で~エレベーターに乗った瞬間、ひっくり返ったっていうね。あとで話聞きました
矢部「もちろん。アリのプライドもあるんでしょうね・・・こうやって細かい事がわかった今は、やっぱ凡戦とは言えないですよ。誰もね」
岡村「アリ本人も、あの試合は怖かったって」
猪木「一番怖かったと言ってました」
岡村「アリ自身も怖かったと。猪木さんもやっぱり怖かった?」
猪木「え~、まあ異種という自分の経験じゃない部分ですからね」



■最後は猪木vsアリを再現
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岡村(猪木役)「(蹴りを出しながら)こ、こうやったら怖いでしょ?」
猪木「おっかねえなあ。・・・やるか!!!」
岡村「ちょっと待って!・・・今、一瞬、顔が変わってきたから」
矢部「やっぱ、猪木さんはすごい目しはるわ」
岡村「ホンマに怖いね」




 中々面白かったですね。バラエティということで笑いもアリな作りでしたけど、これで猪木の凄さがより伝わればよいですよね。個人的に気になったのは、岡村が神様ゴッチ(関連記事12)をあの人呼ばわりしていたことかな笑。猪木を「ペリカン」、ゴッチを「あの人」と、中々バラエティながらシュートな構成でした笑。
  ※画像、コメントはTV朝日「ガチバトル 五番勝負」より引用
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テーマ:プロレス - ジャンル:スポーツ

コメント

 新日本のストロングスタイルの原点とも言える試合ですね。もっと制約を少なくした闘いも見たかったです。どう見ても猪木不利なルールですが、言い訳をしないところが「燃える闘魂」と言える所以かと思います。誰もいないところでひっくり返ったところにアリも相当な気持ちで試合に臨まれていたのが伝わります。
 猪木が横たわってばかりで「あれが試合か」という疑問を当時は持たれている方もいてると思います。ただ、「いつ何時誰の挑戦でも受ける」という猪木の思想は当時から30年以上経過した今も持たれているのではと思います。
[2010/04/21 21:22] URL | プロレス好き #- [ 編集 ]


矢部さんだけかと思えば、岡村さんもシュート発言。
まあ、岡村さんはバラエティー番組でプロレスラーと絡む事はあれ、流石にゴッチさんは知らなかったか。
猪木さんはきっと心の中で「プロレスの神様だぞ・・・」と思ったかしら?。

明後日の「ごきげんよう」に蝶野選手が出るみたいです。
因みにテレビに内蔵している番組表には、「蝶野パパ甘い子育て」と表示されてました。すっかりパパキャラに成ってきたような。
[2010/04/21 21:30] URL | エクスプロイダー #- [ 編集 ]


プロレス好きさん。こんばんは!これで言い訳しない所はカッコいいですね。アリも最初は遊びのつもりだったかもしれないですが、猪木の本気度が伝わったんでしょうね。アリの意地も感じられますね。

まああれは、当時・・理解するのは難しかったかもですね。でも今見直されて評価されているのは凄いですよね。猪木は口だけでなく実践する選手ですよね。凄いと思います。
[2010/04/21 23:37] URL | H.T #- [ 編集 ]


エクスプロイダーさん。こんばんは!岡村の件は、完全スルーされてました笑。あえて自分は突っ込んでみました笑。ゴッチは・・確かに知らない人多いですよね。神様ですから、もっと有名でも良いんですけどね。猪木、そう思ったでしょうね。

マジですか。明日録画してみます!ヒールキャラの蝶野も普段は良い人に違いないですよね笑。ありがとうございます!

[2010/04/21 23:40] URL | H.T #- [ 編集 ]


あっ、蝶野選手が出る日は金曜日、月曜日、火曜日です。
なので、明日はまだ出ないですよ。
[2010/04/21 23:58] URL | エクスプロイダー #- [ 編集 ]


エクスプロイダーさん。こんばんは!あ、すいません。間違えてました。教えて頂いてありがとうございます!
[2010/04/22 00:01] URL | H.T #- [ 編集 ]


最近のMMAのポイントゲーム化の流れに慣れたせいか…今見るとそこまで凡戦でもないように感じてしまった(笑)


初期のPRIDEを見たんですが、ほぼ終始猪木アリポジションから足を蹴り続ける桜庭の姿が印象的でした。

桜庭が寝た相手に容赦なくローキック、それがほぼフルラウンド(笑)


「相手の得意分野での勝負を徹底的に避けて限られた状況で時間いっぱいコツコツ打撃」というリスクを冒さない基本スタイルは今も昔もあまり変わらないかもしれないですね(猪木や桜庭はポイントゲームをしようとはしていないでしょうが)。
[2010/04/23 01:31] URL | ヤンバルクイナ #- [ 編集 ]


ヤンバルクイナさん。こんばんは!それは言えますね。最近のファンはある程度技術的に見れますよね。当時、これが受けなかったものわかりますよね。

初期のPRIDEは、ありました。今はそういう展開が続くとブレイクがかかるんですが、当時は桜庭が評価されるというか、延々と続けられましたね笑。

リスクを犯さないというは、やはりずっと基本であるというか・・・誰も負けたくないですよね。それが度を過ぎるとイライラしてきますが笑。
[2010/04/24 14:17] URL | H.T #- [ 編集 ]

見ましたよ
やっぱりコレは見ましたよ!
この試合、なんならスープレックスでもやって急に試合ストップになってたら、、、っていつも思っちゃてました。
でも、金が掛かりすぎてただけにそんな事は出来なかったんでしょうね。
でも今考えたら、現役のボクシング世界チャンプが異種格闘技の舞台に立つなんて、夢があった時代だったって事でもあるんですよね。
[2010/04/24 14:49] URL | ハリー #- [ 編集 ]


ハリーさん。こんばんは!猪木が反則を犯してしまい、試合が終わってしまうということですか。猪木もこの試合に賭けていたようですし、さすがにキラー猪木にはなれなかったかもですね笑。

そうですよね。猪木の行動力も凄いですが、その思いたった背景には時代というものがあったかもですね!
[2010/04/24 21:40] URL | H.T #- [ 編集 ]

最後はやっぱり、猪木vsアリで締めます。
 この試合に至る背景からお話します(ちょっと偉そうで、上から目線ですみません)。
1976年というのは猪木が新日本を作って4年目の年でした。猪木も33歳になっており、ヘビー級レスラーとしては頂点期に差し掛かっていました。旗揚げ戦でゴッチとやって、翌年も猪木人気のみが新日本を支えており、看板レスラーといえば、ゴッチ、テーズという「昔の名前」しかいませんでした。一度調べてみたんですが、初期の新日本って本当にメジャーレスラーっていませんでした。強いて言えばJ・パワーズぐらいでしたが、パワーズはウルトラ級に下手糞なレスラーで、相手を光らせる術を全く持ち合わせていませんでした。まあ振り返ってみれば、そんなパワーズを相手に名勝負をした猪木のセンスはやっぱり物凄いですね。その後、TJシンを組織的に作り上げ、大成功します。当時の興行主たちの殆どが、「シンなら買いだ!」と言ってましたが、一年中シンとやるわけには行きません。シンのいない谷間のシリーズはストロングスタイルの追求といっても、客はシンの狂乱ファイトに眼が慣れてしまって、何か物足りなさを感じてました。鼻薬が効きすぎてしまったからです。しかし、その谷間のシリーズには名勝負がありました。特に旗揚げ2年目~3年目にかけては、2度のS・小林戦、大木金太郎戦、ルー・テーズ戦、そして年に二回ほど短期で来日していたアンドレ戦・・・但しアンドレは米国でも人気が急上昇中なので、何度もブッキングすることは不可能です。ただ、今、考えると、よくあのときの新日本がアンドレをブッキングできたなと思います。とにかく、ストロングスタイルを謳っていた初期の新日本のドル箱は
間違いなくシンとアンドレというある意味ではゲテモノの二人でした。
 ですが、その谷間を埋めた名勝負がピンポイントでシン戦を凌駕しており、それが猪木の、新日本の草創期を築き上げました。その頃、力道山十三回忌法要のビッグイベントが新日本と全日本の二団体に持ち上がり、主流の全日本がショーヘイ・ババの力でNWAの大物をずらりと揃えました。猪木にしたら涎がでそうな選手ばかりですが、ババは、そんな遠心力で勝負し、片や猪木は、当時、国際プロレスと契約を揉めていたビル・ロビンソンを引き抜き、蔵前でのワンマッチ興行で勝負に出ます。それままさしく求心力です。遠心力と求心力の勝負となり、世間は圧倒的に猪木を支持しました。しかし、その裏では興行戦争ということで地下組織のいらがらせや圧力があったとききます。ともあれ、求心力で勝った猪木でしたが、ババの持つ力、影響力をまざまざと見せ付けられたのも事実です。一度は勝った・・・しかし、2度、3度と勝ち続けることは難しいと、頭のいい猪木は考えたはずです。今と違って、NWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)は絶大な力を持ってましたし、加盟しないことには、今後も3流以下の選手しか招聘できない。そう思い、申請しましたが、そこにはババの横槍が当然入ります。プロレスといっても立派なビジネスです。競合する相手の一番欲しいものを遮断するのは当然です。ババはレスラー兼プロモーターですし、アメリカのプロモーターたちからは絶大な信頼がありましたから、新日本の加盟を執拗に拒みました。猪木は2度、申請を断られており、3度目も断られ、確か新間か坂口の名義で加盟を許されましたが、それも名ばかりの加盟であり、依然として一流を招聘することはできませんでした。こと招聘にかけては、やっぱり正平(馬場)の方が何枚も上手でした(笑)。

 さて、ここからが本番です。本場アメリカ(少なくとも当時は)から招聘できるのは加盟したといっても今までと変わりばえはしない。猪木の凄さ(少なくとも当時の)はここから始まります。一流レスラーを呼べないんであれば、レスラーじゃなくとも一流の男を呼べば馬場に対抗できると考えました。この発想は馬場には絶対に無理でした。馬場はプロレスワールドにどっぷり浸かってましたから、そこから出る必要もなかったわけです。もし仮にそんな危険をやらかしたら、折角持っていた自分のワールドが破壊されてしまう。しかし、なにも持ち合わせていなかった猪木は外に眼を向ける以外にありませんでした。
 この発想は、ビジネス社会にもありました。東京通信工業という会社は、戦後直ぐに立ち上げた家電会社でしたが、当時は、西に松下電器やシャープがあり、地元の関東には名門企業東芝や日立があり、東京通信工業の入り込む隙間は、こと日本にはありませんでした。そして、しかたなく海外に眼を向けました。しかし、敗戦国家日本のyellowmonkeyになにが出来るんだと、ニューヨークやロンドンやパリのビジネス社会は相手にもしませんでしたが、その東京通信工業こそが後のソニーなんです。おそらくソニーだって、最初は日本に大きなマーケットを築きたいと思ったことでしょうが、それができなかったから海外に行くしかなかった。しかし、それが結果として世界企業を築き上げる礎になったということです。

 そして外に眼を向けた猪木は一流のレスラーは呼べないけど、一流の男(今で言うアスリート)なら、なんとかなるんじゃないか・・・。馬場が絶対に呼べない(呼ばない)レスラー以外の選手・・・馬場の持つオールスターに対抗できるレスラー以外の選手・・・レスラー以外がレスラーになる前にリングに上げる・・・レスラー同士が戦うことに眼が慣れている人にとったら、これほど新鮮なことはない。じゃ、誰がいる・・・そう思っていたときに、ムハマド・アリがジョークで言った一言『東洋人で俺に挑戦したきた奴には100万ドルを進呈する』このジョークに噛み付いたのが日本を含めた東洋全体でアントニオ猪木一人しかいなかった。それも本気で噛み付いた・・・。猪木曰く『100万ドルにゼロをひとつ足して1000万ドルで戦おう』―――ボクシング対レスリングの試合はアメリカでは頻繁に行われているが、その全てが余興であって、現役のヘビー級チャンプがリアルファイトすることなど過去に一度もなかった。アリはそんなジョークを言ったことすら忘れていた。INOKI WHO???と言ったそうですが、そこに嘘はなかったでしょう。しかし、猪木は執拗に食い下がり、先ずはヨーロッパのマスメディアに対アリ戦を挑発的に掲載させました。ヨーロッパは格闘技の盛んな国ですが、プロレスはドイツとロンドン程度で、パリなんか当時は消滅寸前だったそうです。それに、アマチュア規定が厳しく、名誉はあっても金がない選手も沢山いて、その代表がW・ルスカでした。ミュンヘン五輪で二階級制覇した格闘技の申し子も、当時は酒場のバウンサーをしており、黒人の娼婦と同棲しており、金が欲しくて欲しくてたまりませんでしたから、すぐさま、その記事に反応しました・・・しかし、負けることを強要した新日本にルスカは直ぐに応じました。ファンにとってルスカ戦は嬉しい限りでしたが、柔道界にとったら、許せない背信行為だったでしょう。その二年間には東京五輪のヘーシンクが馬場のプロレスに上がり、中途半端なファイトで、プロレスファンも柔道ファンも失望しましたが、またルスカでも、こと柔道界には深手を負いました。
 猪木の派手な活躍に、アリも無視できなくなりましたが、取り巻き連中は大反対したそうです。まかり間違って怪我でもしたら大事だし、そもそも相手にする必要がない相手でもありました。世界中にその名が知れ渡っているアリと日本でしかバリューのない猪木・・・アリサイドがそう思うのも当然です。しかし、今度は世論がアリを許しませんでした。アリは常々相手のことを「腰抜け」とか「へぼ野郎」とか所謂ビッグマウスを吐いていたので、自分が言われる立場になってしまい、周囲の反対を押し切って実現に向かいましたが、その周囲の人間たちも、勿論アリもエキシビションだと半信半疑でした。アリとしても取り巻き連中としてもエキシビションで1000万ドルは美味しい話だと・・・。それに、これは不確かですが、アリは急進的黒人宗教団体のブラックモスリムに入信してましたが、モスリムにとってのアリはこれ以上ない広告塔でもあり、金の成る木でもありましたが、アリとモスリムの関係は、決して上手く行ってなかったとも言われています。要するに金が欲しかったということです。ヘビー級チャンプはタイソンもそうですが、何十億と儲けても、それだけ、金のかかる立場でもあります。アリアーミーとかアリ軍団とか物凄い取り巻きを養うには世界チャンプであり続けないことには維持できません。しかし、企業4年目の新日本プロレスに1000万ドルもの金が用意できるはずがありません。結局は交渉に交渉を重ねて610万ドルという、それでも物凄い金でアリサイドも納得しましたが、それも殆どが借金とPPVからの売り上げの一部で補填するという極めていい加減な内容でした。一説にはアリには200万ドルしか渡せなかったという説もあります。それでも単純計算で6億円近くの金ですが・・・。
 結果的に、とにもかくにもリングに上げた時点で猪木と新間の勝ちですが、総合格闘技などが世に出る何十年も前のことですので、どう責めていいのか分かりませんし、公表はされてませんが、手枷足枷のルールもあったと聞きます。コーナーに詰まったアリが両手でコーナーロープを掴み、足を浮かせているときに、猪木が寝転んで、アリの浮いた足を蹴飛ばしているシーンをご覧になっていただければ、猪木の表情が憎しみの眼差しで、本気で蹴っているのがよく分かります。おぞましいのはアリの左脛の裏側です。アリは黒人ですが漆黒というよりもコーヒー色に近いのでよく分かりますが、紫色に変色してました。猪木は蹴りのスペシャリストではありません。今の蹴りの専門家だったら、恐らくアリは途中でリングを降りていたでしょう。バービックのように・・・。しかし、専門家ではありませんが、それでも100キロの猪木が蹴り続けたら痛かったに違いありません。血栓症を煩うような蹴りを絶え続けたアリも立派だと思いますが、世界チャンプの足を破壊した猪木の執念というか裏側に見える恐ろしさを垣間見ました。元極真で、現在逆真空手の山崎照朝氏が言ってましたが、ぞくぞくするような真剣勝負だったと・・・。
 結局、猪木は、その借金を返済するために、良くも悪くも格闘技戦を乱発し、馬場との争いに人気と収益では勝ったことになりますが、本当の勝負がどうだったかは分かりかねます。ですが、何も持たない人間は、持ち合わせている人間よりも考えたり、努力したり、工夫をしたりするということを証明しましたね。少なくとも私は『あの頃』の猪木は男としての魅力に魅了されていました。
 考えてみれば、横浜の裕福な家に生まれはしましたが、父親が横浜市会議員に立候補したが、その選挙期間中に亡くなり(猪木は当時五歳)、石炭商だった実家も急速に斜陽化し、借金まみれになり、その挙句にブラジルに移住し、尊敬してやまないお祖父さんとはカリブ海の真ん中で死別し、地獄のコーヒー畑で灼熱地獄の中で生活し、力道山からは家畜や奴隷なみな虐待を受け、東京プロレスを半年で破綻させ、復帰した日プロからは罷免され、新日本では3流以下の相手を光らすために己の身を犠牲にして草創期を切り抜け、馬場に邪魔され?柔道王を屈服させ、プロボクシング現役王者の足を蹴り続けた猪木はやっぱり並みの男、並みのレスラーでないことは確かですね。

 めっちゃ長いコメントになってすみませんでしたー(笑)。

 HTさん、よいお年をお迎えください。
[2013/12/30 22:31] URL | トヨノボリ #HfMzn2gY [ 編集 ]


トヨノボリさん。あけましておめでとうございます!昨年はコメント頂いてありがとうございました。当時をリアルタイムで見ていない自分にとって新鮮な話もあり興味深かったです。ライバル関係とも言っていい猪木と馬場ですが、馬場の存在あってこそ猪木のアイデアも生まれたんだろうなあと思えます。そんな中、シンやアンドレの登場ですか。猪木の運の強さも感じますね。猪木の行ったことは現在で言うベンチャー企業のようにも思えますね。大企業の隙間をついてビジネスを拡大していく。頭の良さを感じます。現在のファンは、猪木を「とにかく強さを追及した男」というイメージを持っているような気がしますが、そうではなくお客さんに集まってもらう事を第一に考えた戦略家ですね。武藤敬司が猪木を「アメリカンプロレス」と評しますが、それは的を得ている言葉だと思います。
 アリ戦はこれから、時間がいくつ経過しようとも色あせないでしょうね。当時のお話を聞くと猪木の情熱が伝わってきます。この情熱も馬場の存在あってこそ生まれたものなのかもしれません。
 昨年末は猪木ボンバイエを会場観戦してきました。現在のプロレスラー、キックボクサー、MMA選手らが多くが「猪木さん、呼んでくれてありがとうございます。また呼んでください」とマイクしてましたね。猪木の実践してきた「プロレスはあらゆる格闘技を含んだもの」というものが受け継がれているんだなあと思いました。未だ熱いイベントを開催してくれる猪木に感謝ですね。

では今年も宜しくお願いいたします!
[2014/01/03 17:03] URL | H.T #- [ 編集 ]


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